自分の欲求に素直になってたどり着いたこと
毎日、予想以上の「情報」に囲まれて暮らしています。
それも、仕事をしなければならないため
頭をひねったり
ちょっと専門的なことも調べながら理解して
というようにやっているので、
定期的に「自分が欲しがる」ものを入れ込むようにしています。
やむをえず、の事情ではなく、本当に欲してるものって
自分のからだに入ってくるのが心地良いんです。
仕事をするなかで仕方なしに「ロジカル」に適応するように生きてきたけれど、
けっきょく、もとをたどれば私は「感覚」を大切にするし
「感覚」に助けられて生きてきたのだと思っています。
上質に生きるということ
で、わりと心地よいのが「上質」な暮らし。
これってかなり贅沢だし、
今の時代に反しているとすら、思うこともあります。
それでも、まだ、憧れてしまう。
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— さとう (@eri7_sandcopy) 2017年5月20日
上質でていねいな暮らしには憧れます。 pic.twitter.com/UQ7xVUJXO1
だって忙しいじゃん。
常に、「前年比」に追われてさ。
リソースも足りてないのに、ただ数字だけが設定されて頭なんかも回らないし、体力も限界だし、頼りにできる人ばかりが辞めてく中でどんどん数字だけあげられていくの。「上質」な暮しであるためには時間にも、余裕が必要だけれど、スキマを見つけるって、そんな簡単なことじゃない。
さらに、今、定年を迎えているような世代は(言い方は悪いけれど)逃げきれた世代。年金も満足にもらえて、貯蓄もあって……という方ばかりではないのは承知ですが、ぬくぬくと老後を楽しんでいる方も多いと思うの。ところが、就職氷河期に職につけなかった人は、将来まで見据える余裕なんてなくって、今をどうするか?に真剣になやんでいる方も多いと思うのです。
そういう人たち(……残念なことに、私も)にとっては
こんな上質なんて、夢のまた夢って思うのが現実なんじゃないかなあと。
これからの世代は、手が届かないものだと諦めて
古びれた考えになっていく可能性すらあるんじゃないかなあと、
ちょっと危惧しつつ、羨んだりしています。
今の私であれば、
どうでもいい服を買うのをやめて、上質な1枚だけを大切に着るとか。
ちょっと背伸びすればまだ届くんじゃないかなあ、と思って。